不易流行vol.92
明治10年に和賀組を創業した「市蔵」の姉「ミサ」は、24歳で当時3歳の息⼦「市太郎」を岩崎に残し、単⾝函館に渡りました。明治政府誕⽣の8年前、1860年(安政8年)の頃と思われます。その6年前の1854年には⽇⽶和親条約に基づいて⽇本は伊⾖の下⽥とともに函館が開港されています。この開港で函館は⼤きく変化し、外国⼈の渡来、五稜郭築城、洋式造船、キリスト教会など、それまでの縄⽂時代の様な⽂明から⼀挙に近代⽂明国家へと変貌する時代で、当時の函館はとてもエネルギッシュな街であったことが想像できます。 和賀組・丸⾂髙久建設JVで建設をする事になった、第五⼯場の安全祈願祭が10⽉6日、強⾵の中無事に執り⾏われました。兵庫県の本社社⻑も兼務している安達社⻑は挨拶の中で、「中期経営計画の中でも当⼯場は電気⾃動⾞向け部品の重要な拠点となる」と期待を述べられておりました。
10⽉18⽇秋⽥県⽴湯沢⾼等学校創⽴80周年記念式典が湯沢⽂化会館で⾏われました。また祝賀会が湯沢グランドホテルで開催され、来賓として挨拶させて頂きました。
10⽉30日 湯沢翔北⾼校雄勝校で雄勝建設業協会主催の測量コンテストが開催されました。サポートで協会員が⼊り、⾼校⽣とチームを組んで臨みました。優勝は「⾼嶋チーム」でした。
明治2年、政府は「開拓使」を設け北海道の本格的な開拓に着⼿、欧⽶の⽂化・技術を積極的に取り⼊れ農業、鉱⼯業などの新しい産業を興し、交通を整備して開拓の基盤を固めました。また明治初期には新政府と対⽴して領地を失った旧会津藩・仙台藩など、東北地⽅の⼠族たちが多数北海道に移住しています。彼らは旧領主を中⼼に集団で移住し、主従の固い結束のもとに開拓を成功に導きました。1884年(明治17年)には⿃取県の⼠族が現在の釧路市に開拓のため移住し「釧路村」を設置しました。現在でも⿃取町の地名が残っていて⿃取⼩学校もありました。そうした縁で釧路市と⿃取市は1963年(昭和38年)に姉妹都市提携を結び交流を続けています。また同時代に湯沢市からも釧路市に多数移住しており、湯沢市の地酒が販売されていたことなどの歴史的背景から、地酒を通じてのお互いの交流が続き、同じ年に姉妹都市が提携されました。
10⽉13⽇から三⽇間にわたり、釧路市・湯沢市および釧路市・⿃取市の姉妹都市提携60周年記念事業が開催され、市⻑・湯沢市議会・ゆざわ⼩町商⼯会の皆様他と共に釧路市に⾏って参りました。蝦名市⻑はじめ多くの皆様に⼤変歓迎されまして、今後相互訪問など様々な記念事業が計画されております。
「ミサ」は豪商荒⾕⽒と結婚して函館から釧路に移住し、夫亡き後は北海道庁を退職して斜⾥町議会議員となった「市太郎」と斜⾥町で過ごしました。今回当社としても縁が深い北海道釧路市を初めて訪問することができ感慨深いものがありました。今後ますます交流⼈⼝が増え、両市が発展することを願っております。
秋⽥指⽉(株)様安全祈願祭
湯沢⾼校80周年
測量コンテスト